呑空作「時有」からのイメージリレー

當麻 ゆきこ

 初めまして、當麻ゆきこと申します。この度はこのような素晴らしい機会をいただき、とても光栄に思います。これから始まりますイメージリレーコラボレーション、さまざまな方にお楽しみいただけましたら幸いです。

 在住地も東京、プラハ、ブルノとバラバラ、専門も書道家、絵描きに西洋カリグラファーと、さらに年齢も経歴もまるで違う3人なのですが、顔を合わせてみたら不思議なくらいに意気投合しまして、特に根っこの哲学が共通していたことで一気に仲が深まりました。本当に奇跡的な出会いだと思います。

 ご覧の皆さまにも自由にインスピレーションを感じていただけたら嬉しいです。これからどうぞよろしくお願いします。

 

   This article's English translation is below:

   "Response to “The Time Exists”-Yukiko"

   http://pbt-yugen.akacoa.jp/2018/06/yukiko01/

1. 薄氷を履む / Step on the thin ice

2. 我と我が身をふり返る / Look it Back

 さて、今回の二枚の絵は、スペインで美術的刺激をたんまり受けて今すぐにでも絵が描きたかった帰りの道中、送られてきた呑空さんの絵を携帯で見て、2枚セットですぐさま浮かんだ構図でした。あまりにすぐ浮かんだので、自分でもびっくりしたほどです。

 足元の影の部分に何か言葉が入るのだけど…と思いながら帰宅し、聖書のコヘレトの言葉3章を開いて、その言葉に打たれました。このコヘレトの言葉はとてもユニークで、生きる実感に満ちており、力強い言葉が心に響きました。

 その感覚を受けて2枚を描いたところ、自然と日本語版と英語版の二つになりました。行き止まりを感じるような構図と、広がりを感じさせる二つに別れたことは、私の心情を表していると思います。

 この第3章序盤の、人生の数多の光と影を表現する28の言葉を紙に彫り込むようにして描きながら、私にとって生きるとは何か、と心の中で自然と考えていました。

 「薄氷を履む」は、私にとっての生きるという感覚の一側面です。素敵なこと、楽しいことも沢山ありますが、いつ何がどうなるか分からないという恐怖と隣り合わせの感覚もまた、常にあります。それはまさに、自分が今までやってきたこと全てを足の下の薄氷に顧みているこの女性のようです。今までを振り返ると、あまりにも手に余るように感じて恐怖を感じたり、誰にも分からない未来を思い煩ったりと、人生という自分だけのものではないものを、小さな「人間の時間」の範囲で考えてしまうことも、本当に多々あります。

 ですが全てはいつか、善も悪も何もかもが一つの大きな河のようになって神さまのところへ還ってゆくのだ、と確信している自分もいるのです。それは「神の時間」がどんな時でも働いてくださっているとどこかで知っている、からです。2枚目の絵は「神はすべてを時宜にかなうように造った」という一文が、28場面の川のような流れの終わりを総べています。

 どんなことがあったとしても、ビッグバンの終わりが小さな点に収束するように、どんなに沢山のことが起きても流れても、最後にはたった一つの漂白された真実がぽつんと残れば、それでいいような気がするのです。

 必ず最終的には神さまが責任をもって調整してくださるのなら、大きなことや分からないことは神さまに任せて、私は今日も私自身の小さな小川を、驚きや困惑や恐れ…そして笑顔や楽しさや愛に溢れたこの小川を、一生懸命に流れていこう。そのように思えるのです。

 余談ですが、この3人でのやり取りや作品が仕上がるタイミングなども、まさに神さまだけが答えを知っているような絶妙な時に起こるため、いつもこのことを実感しています。

 私たちの小さな働きが、どうか神のみこころにかなったものでありますように。

(Yukiko)

©當麻ゆき子、2018

 「時」に対する當麻ゆき子さんの応答

 

 最早に、ゆき子さんにインスピレーションが与えられ、その作品がチェコより届きました。

 キリスト者である彼女の「時」の認識は、私のそれと同じでした。

 ただ、彼女の全身に定着している豊かな感性に支えられた観察力、洞察力、それに何より、幼い頃のダンスの修練によると思われる動きとリズムは、いつもながら、私を刺激してやまないのです。

 皆さんはいかが感じられましたでしょうか? 是非お聞かせ下さい。             (Don.)

©DONKUU, 2018