先達者たちの証しである「聖書」は、なんと「愛」というコトバで満ちていることでしょう。
私が神を知る以前から、神が私を愛しておられたことを知りました。
ですから、私にとって神は愛なのです。
私は祈る時、「天の父」ではなく、「天にいらっしゃる愛なる神さま」と呼びかけます。
その愛は私の信仰、希望とあらゆる行為の礎となっています。
この愛は私だけでなく、神ご自身が創られた全ての「いのちあるもの」に注がれています。
その愛は、高く、広く、深いものです。
私たちは「愛の実践」を、自らにも他者にも求めてしまいます。そして、その不十分さに不満を抱きます。
提案です!! まづ自らに注がれている「神の愛」を感じてみませんか。それもいっぱい浴びるように…。
そして、「隣りびと」と受けた愛について語り合ってみませんか。
その中で、ゆっくりと、自分らしい、自分のできること、すべきことを、探ってみてはいかがでしょう。 (Don.)
©DONKUU, 2017